2007年10月01日
これまでの流れ 〜組織沿革〜
♪ブラームスホール誕生
1987年、滋賀県栗東町(現栗東市)において、淡海自動車工業株式会社創業40周年
記念事業として、音楽ホール「ブラームスホール」を開設しました。
淡海自動車は、資本金2800万円、年間売上8億円、社員数25名で自動車整備販売会社です。
音楽関係者は私しかおらず、ホールの運営にいたっては全く素人で、正に手探り状態での開始でした。
ホール規模は、約50坪、集客数120名。事業内容は「クラシック音楽」に絞りました。
今でこそ、滋賀県は世界に誇るびわ湖ホールを持ち、県内のホール数は全国トップレベルです。
しかしながら、1987年当時は、500〜800席の県立会館(6)と1000席余りの市民会館(3)
があるだけでした。まして、音楽専用ホールなどなかったのです。
その頃の滋賀県は文化不毛の地と言われていました。
アマチュアグループの活動は盛んになってきていましたが、プロの音楽家にいたっては人数も少なく、
ほとんど活動もされていない状態でした。そして、県内の公立ホールでは、年に数回買取公演が実施され、その事業のほとんどが東京からの売りの公演でした。
そのような滋賀県の状況の中でのブラームスホールの開設はかなりのインパクトを与えたのでした。
まして、文化的環境の場所ではなく、トラックターミナルの中に存在する3Kと言われる自動車整備販売会社の中にクラシック音楽専用ホールが出来たのですから、 世間がびっくりしたのは当然かもしれません。
♪ブラームスホールの運営
ブラームスホールの運営形態は、淡海自動車のメセナ事業という位置付けでした。
事業コンセプトは、(1)地域へ豊かな音楽文化を提供する
(2)地元の若手音楽家の発表の場を提供する
ということになりました。
それは、当時、私も若手音楽家の一員として演奏活動をしており、演奏の場に恵まれないということを
身を持って感じていたことが要因でした。
オープン当初1年は、出来るだけ一流の演奏家に出演していただきました。私たち運営スタッフも
「本物」を知る事が大切と考えたからでした。
そして、2年目あたりから、自主企画制作のコンサートを実施するようになり、
地元の音楽家にも出演をしてもらうようになったのでした。
このころから、コンサート制作の依頼を受けることが増えてきました。先程も書きましたように、
当時、県内の公立ホールは事業のほとんどが東京からの買取公演であり、
ホール外の文化事業もそういう状態でした。また、県内に音楽事務所もなかったのでした。
事業の依頼が入ってきて困ったことは、制作コンサートの値段の設定や出演料の決め方でした。
相場表があるわけでもなく、目に見えないもの(ソフト)の価値を値段設定するということは
大変難しいことでした。
♪法人格の取得
さて、自主事業と共に委託事業が増えていきました。
行政からの委託がほとんどを占めましたので、契約の問題がおきてきました。
当時は、淡海自動車工業株式会社の事業としてやっていましたので、契約の度に、
「何故車会社が音楽事業なのか」
「メセナでやっているのなら道楽だろう」
「車会社のためにお金を払うのか」
という理解のない言葉を受けることが多く、説明するのが大変でした。
この事業の法人化の必要性が出てきたのです。
そして、1995年(平成7年)、有限会社ブラームスプランニングを設立。
自ら代表となりました。私としては公益法人を望みましたが、条件的に難しいものでした。
その後、順調に事業が進み、滋賀県のほとんどの市町村から委託事業も受けるようになり、
また、こちらから提案したまちづくりを目的とした事業も実現していきました。
(所謂、行政との協働事業です)
♪NPO法人設立
しかし、組織としては民間営利事業の扱いですので、何とか非営利の団体にしたいと望み、
有限会社設立当時から、公益法人設立の趣意書を書いていたのです。NPO法が出来ると知ったときには
「これだ!」と思い、直ぐ準備にかかりました。
そして、2000年8月、NPO法人「ブラームスホール協会」が認可されました。
1987年、滋賀県栗東町(現栗東市)において、淡海自動車工業株式会社創業40周年
記念事業として、音楽ホール「ブラームスホール」を開設しました。
淡海自動車は、資本金2800万円、年間売上8億円、社員数25名で自動車整備販売会社です。
音楽関係者は私しかおらず、ホールの運営にいたっては全く素人で、正に手探り状態での開始でした。
ホール規模は、約50坪、集客数120名。事業内容は「クラシック音楽」に絞りました。
今でこそ、滋賀県は世界に誇るびわ湖ホールを持ち、県内のホール数は全国トップレベルです。
しかしながら、1987年当時は、500〜800席の県立会館(6)と1000席余りの市民会館(3)
があるだけでした。まして、音楽専用ホールなどなかったのです。
その頃の滋賀県は文化不毛の地と言われていました。
アマチュアグループの活動は盛んになってきていましたが、プロの音楽家にいたっては人数も少なく、
ほとんど活動もされていない状態でした。そして、県内の公立ホールでは、年に数回買取公演が実施され、その事業のほとんどが東京からの売りの公演でした。
そのような滋賀県の状況の中でのブラームスホールの開設はかなりのインパクトを与えたのでした。
まして、文化的環境の場所ではなく、トラックターミナルの中に存在する3Kと言われる自動車整備販売会社の中にクラシック音楽専用ホールが出来たのですから、 世間がびっくりしたのは当然かもしれません。
♪ブラームスホールの運営
ブラームスホールの運営形態は、淡海自動車のメセナ事業という位置付けでした。
事業コンセプトは、(1)地域へ豊かな音楽文化を提供する
(2)地元の若手音楽家の発表の場を提供する
ということになりました。
それは、当時、私も若手音楽家の一員として演奏活動をしており、演奏の場に恵まれないということを
身を持って感じていたことが要因でした。
オープン当初1年は、出来るだけ一流の演奏家に出演していただきました。私たち運営スタッフも
「本物」を知る事が大切と考えたからでした。
そして、2年目あたりから、自主企画制作のコンサートを実施するようになり、
地元の音楽家にも出演をしてもらうようになったのでした。
このころから、コンサート制作の依頼を受けることが増えてきました。先程も書きましたように、
当時、県内の公立ホールは事業のほとんどが東京からの買取公演であり、
ホール外の文化事業もそういう状態でした。また、県内に音楽事務所もなかったのでした。
事業の依頼が入ってきて困ったことは、制作コンサートの値段の設定や出演料の決め方でした。
相場表があるわけでもなく、目に見えないもの(ソフト)の価値を値段設定するということは
大変難しいことでした。
♪法人格の取得
さて、自主事業と共に委託事業が増えていきました。
行政からの委託がほとんどを占めましたので、契約の問題がおきてきました。
当時は、淡海自動車工業株式会社の事業としてやっていましたので、契約の度に、
「何故車会社が音楽事業なのか」
「メセナでやっているのなら道楽だろう」
「車会社のためにお金を払うのか」
という理解のない言葉を受けることが多く、説明するのが大変でした。
この事業の法人化の必要性が出てきたのです。
そして、1995年(平成7年)、有限会社ブラームスプランニングを設立。
自ら代表となりました。私としては公益法人を望みましたが、条件的に難しいものでした。
その後、順調に事業が進み、滋賀県のほとんどの市町村から委託事業も受けるようになり、
また、こちらから提案したまちづくりを目的とした事業も実現していきました。
(所謂、行政との協働事業です)
♪NPO法人設立
しかし、組織としては民間営利事業の扱いですので、何とか非営利の団体にしたいと望み、
有限会社設立当時から、公益法人設立の趣意書を書いていたのです。NPO法が出来ると知ったときには
「これだ!」と思い、直ぐ準備にかかりました。
そして、2000年8月、NPO法人「ブラームスホール協会」が認可されました。
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